世界でいちばん小さな三つ星料理店
著者(編集者):奥田 透
出版社:ポプラ社
人間の舌というのは、いわば脳みそと筋肉の固まりです。腕立て伏せや腹筋と同じように、鍛えれば鍛えただけ舌は肥えていきます。ですから、自分で煮たり焼いたりした魚などを、自分の舌で味わうことも大切なこと。
散々練習に明け暮れた中学校の野球最後の大会も破れ、中部大会出場の夢が破れ、みんな目を真っ赤にして涙を流していましたが、私は泣けませんでした。「いまから泣いても遅すぎる、泣くんだったら練習のつらさに泣くべきだった」
「石の上にも三年」といいますが、その三年の間じっと座っているだけでなにもしなければ、三年経ってもなにかが急に出来るようになるわけではありません。やるべき仕事をいま目の前にある「面倒」とみるか、将来のための「勉強」と見るかでその成果は大きく違ってきます。先のことを考えたらやるし、今しか見ていなければやらない。それが仕事であり、修行、今出来ないことは先送りしないで、いまやって克服したほうがよい。
「自分はこうじゃないといけない」とか「これは自分にとって必要だけど、こっちは必要ない」とか、、、そんなふうに選り好みしていては、決して気付くことのできない世界がある。高校卒業後「住み込みは嫌だ」「給料は何万円ぐらいほしい」「何時までにおわりたい」「週休二日にしてほしい」などと言っていたら、給料はいいけど、自分に納得のいく仕事に就けなかったと思う。「もう煮るなり焼くなり好きにしてくれ」と、すべてを捨てて裸で飛び込むからこそ、そこに意外な褒美や果実が用意されていると思う。変な期待や高望みは綺麗さっぱり捨て去って開き直って体当たりでいくこと。そうすればきっと自分を受け入れてくれる世界が開けてくる。
京都では掃除の仕方にしても学ぶところがあった。とにかく同じところを毎日磨く。ほこり一つない、「そこは昨日掃除した」というところも毎日磨く。主人が「四百年経っていても磨けば光るんだよ」と教えてくれた。毎日、丹精込めて磨いていれば、最初に立てたときよりも綺麗になる。古くなると汚れたりくすんできたりするのが当たり前と思っていたのが、古くなればなるほど美しさを増していくものがあると知った。
徳島の名店青柳にて、主人から「料理が上達するための一番のコツはなにかわかるか?」と問われた。「料理はどれだけ気がつくかが一番大事」という答。車を運転するときも、どうすれば後ろのお客さんに気持ちよくのってもらえるか考え運転するすると、信号で止まるときもブレーキのかけ方が変わってくる。冬ならば4,5分前にエンジンをかけて暖めておく。
まかされた青柳の支店が2倍の売上を越えた、秘策は難しいことをしたわけではない、笑顔でお迎えして、笑顔で送り出す。お客様がこられたらいらっしゃいませと声をかけ、席まで案内して、お絞りを持っていって、、逆にそれらがテンポ悪くなかったらその店は大丈夫かとなる。
「かゆいところに手が届く」、本来飲食店でかゆいというのは異常事態、最初から感じさせないのが一番、それでも感じさせてしまったら「かゆい」というまえに掻いて差し上げる。
独立後の資金繰りをめぐった悪夢のような日々。二十四時間、眠っているときも支払いのことが頭から離れない。家をでて、店に行かねばと思っても脚がすすまぬ。逃げ出すことすら考える、気がつくと死ぬことすら考えている。生まれたばかりの娘と会話せずに死んでいくのかと思っては涙が止まらない。下積み時代の妻の支えを思っては涙が止まらない中、まだやり残したことはないかと最後の力を振り絞る。
最後に、料理は心と体を同時に感動させることが出来る芸術。