信念に生きる ネルソン・マンデラの行動哲学
著者(編集者):リチャード・ステンゲル
出版社:英治出版
英雄などめったに存在するものではない、ネルソン・マンデラは、純粋な意味で英雄のナに相応しい最後の人物であろう。自己犠牲と厳格な精神を、笑顔の中に秘めた象徴的な英雄。多くの人にとって、彼はいわば生ける聖人である。マンデラ本人は私は聖人とは程遠いと、謙遜ではなく心から否定する。なぜならマンデラは、清濁併せ呑む力を持つ、多面的な人物だから。
成熟するとは、若いときにむき出しにしていた感情を胸の内に秘める術を得ること。決して不公平や不正に対する怒りや反発を感じなくなってしまうことではない。何をすべきでどのように行うべきかを知っていることだけが成熟ではなく、一時の感情を抑え、様々な思考を冷静に判断し、物事をありのままに見ることが成熟という。
先陣を切るリーダーシップとは、マンデラが言うに。説明責任を伴うことを意味する。マンデラは自分が意思決定したのならば、結果責任も自らが負う、という考えである。
マンデラの言うリーダーの仕事とは、すなわちリーダーシップの要諦は、あるゴールに向かって人を動かすことにある。人々の考え方や行動の方向性を変えることである。その方法は必ずしも先頭に立って私についてきなさいと叫ぶだけではない。他の人々に権限を持たせる、あるいは、自らは背後に立ち、前にいる人々が一歩踏み出せるように背中を押すという方法もある。
マンデラの外見への執着は、単にどんなスーツを着るかというレベルを超えている。彼の関心は外見が持つ影響力だ。「現実とは物事がなんであるかよりも、どのように見えるかだ」とマンデラは言う。象徴としての外見は、時に中身よりも重要なのだ。
リーダーたるもの軽率に判断してはならないという信念を持っていた。お気に入りのチームを尋ねられても答を適当にはぐらかしたものだ。これは大統領になる前からの習慣で、1つを選ぶことによって、他の全てからの信頼を失うことがあることを知っているからである。
マンデラは収監中に、原理原則と戦略(マンデラの中では戦略と戦術は同義語)はことなるものであるという考えをどんどん進化させた。投獄当初、戦略的思考から程遠かったマンデラは出所のときには全く違う人物になっていた。マンデラは、若い頃、時に現実離れした理想を抱き、後に後悔する様な判断をしたが、自由戦士として信念を持たない敵と戦い、何十年と獄中生活を送るうちに、完璧な戦略的志向の持ち主へと変貌を遂げた。しかし、マンデラが公で話す姿からは戦略家としての姿は微塵も感じられない。自由と民主主稚児言う高尚な信念について話すときも同様。改革を推し進めるリーダーたるもの、信念と原理原則を語るべきであり、世論や得票数、細かいk戦術について語るべきではないと考えているが、政治について話すときはまるで別人のように有能な戦略コンサルティングさながらだ。実際、これまで戦略を学ぶに多くの犠牲を払ってきた。何よりもマンデラが学習したのは、戦略そのものだけではなく、その戦略を表に出さない方法を取得したのである。
すべての信念が同じ重みを持っているわけではない。ゆえに優先順位をつけなくてはならない。マンデラが大学を辞退した信念、もし 学歴があれば後の彼の運動にどれだけ有利に働いたことか。マンデラが学生時代に貫いた信念により払った犠牲は大きいと回想する。
心に訴える、頭ではなく心に向かって訴えかけよ。聞き手の言葉を持って話す。場合によっては話すだけではなく行動を持って伝える。
己の敵を知れ、「あのとき初めて分かった。自由への闘争というのは、黒人を解放するためのものだけではない。白人を恐怖から自由にするためでもあったのだということが」
敵から目を離すな、最も相反する人をマンデラは自分の最初の内閣内務大臣として入閣させた。「自分に一番近い場所においておくなら内閣に取り込まない手はないだろう」。予期せぬ攻撃に対して、私達がとれる絶対確実な策はない。しかし、敵を常に自分の視野に取り込んでおくことで、見張られている状態にある敵に考えを改める余地を与えることが出来る。
マンデラは27年間の刑務所生活で多くのことを学んだ。若かりし頃のマンデラはどちらかというとせっかちであった。しかし、早急な行動は誤った判断に繋がること、常に落ち着いて行動することが肝要だとまなんだ、また、成果の報酬を享受するためには忍耐が必要だということも学ぶ、現代社会では、素早い行動を美徳とし、スピードを重視するあまり努力の結果をすぐに求めがちである。成果から得られる報酬を急ぐがあまり、視野が短期的となり、その結果、自分終身の考え方に終始する傾向がある。
決断力があるとは、意思決定だけのスピードでは語れない。本当の意味での決断力とは、充分な時間をかけて幅広い角度から分析し、 必要とあらば自分の温めていた考えを曲げてでも、最善の判断をする力を指す。